過去記事ですが、今のシリーズに繋がると思い、再度アップしました。
これは、私の経験談。
『私という人間』が思う心。
良かったらお付き合い下さい。
女として生まれて…
女として生きる。
人を愛することを知り、人を大切に思うことを知った。
時には…悲しい愛もあるし、世の中色んな恋愛がある。
人の数だけ恋心もあるのかも知れない…。
私のしてきた恋も…
沢山ある。
どれも大切な恋。
一つとして、同じものなどなくて…
一つずつが大切なかけがえのない恋。
でも時に、恋することが…人を愛することが…信じることが…
『怖くなる時』
もある。
特に、失恋した後は、
『自分を愛してくれる人はもう現れないんじゃないか…』
と、悲しみで前が見えなくなることもある。
他人から「後ろ指さされる」ことだってある…。
苦しい思いに…更に…負い重なるように、悲しみを背負うこともある。
本当に…
『愛の終わり』
とは、様々な人間の感情が交差する。
それでも……
また『愛』を求めるのは…
【何でだろう…??】
また人を『愛する』のは
【何でだろう…??】
私が心から愛した人。
彼を本気で愛してた。
今だかつてない程に…
『燃えたたった一つの愛』。
そんな彼から別れ際に言われた数々の酷い言葉…。
「今でも…心にシコリが残って…痛むこともある。」
でも…
今日という日まで私は、
『人を愛すること』
を諦めなかった。
恋に破れては…
毎回愛した彼の残した言葉の数々が心に小さな矢のように沢山突き刺さる。
戻っても仕方がないのに…
割り切っているつもりでも…
どうしても彼の言葉が胸をよぎる。
でも…
今日という日まで私は、
『恋すること』を諦めなかった。
不思議だよ…ね。
何故諦めずに、今日という日まで来れたのか…
「愛されることを知ったから、愛されたから愛をまた求めることが出来るのか…??」
自分の心に聞いてみた。
答えは…
「違う」。
私の中であった答えは、
『愛した自分がいたから、愛するということの尊さを私が知ったから』。
愛とは、形無きもの。
だから、愛されていたかどうか…は形として見ることは出来ない。
当たり前なことだけど、大切なことで、形無きものであるし、相手の心の中も見ることは出来ないから…
私が愛されていたかどうかは、実際のところは、
「決して分からない」ものだと思う。
でも…
一つだけ確かに分かるものがあって、それは
『私という人間が彼を心から愛した』
という事実。
それだけは、「自分の心」だから分かること。
人を愛することに理由もないかも知れないし、理屈もないのかも知れない。
でも…
また「愛を求めること」が出来るのは、心に大きな癒えることのないかも知れない傷を抱えていても、また「人を愛そう」と思えるのは、
『愛することの喜び』
を知っているからなのだと思う。
相手に「愛されたか?」ではなくて、自分が「愛した」ことを分かっているからだと思う。
愛することを知り、私は
『人を愛せる自分』
がいることを知っている。
それがあるから…
それを信じているから…
私は「人を愛することを諦めない」のだと思う。
もし…もう誰も信じられないと、苦しい思いを抱えている人がいたら…
『他人は信じられなくても、自分という人間は信じてあげられるよね』
『信じてあげて欲しい…』
そう思う。
人を愛することとは…
『まずは自分を知り、自分を認め、自分を信じること』
からなのかも知れない…ね。
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