昨日 仕事が終わってから
一緒に上がった子とふたりでラーメンを食べに行った。
なんども何度も通った神座
頼むのはいつも「おいしいラーメン」 630円
これでも十分安いのに、夜10時まではさらに100円引きの530円
カウンターに置いてあるアンケートに記入して店員さんに渡すと
100円のトッピング無料券がもらえたりする。
そうそう それから画像右上の透明タッパウエアに入ったニラは食べ放題!
こんな安くて さらにおいしい。
味については賛否両論、それぞれ好みがあるだろうけどわたしは好き。
具材はシンプル 白菜と豚バラ肉を炒めたのんと、とろチャーシュー
それだけなのに それだけだから?
5年前、初めて「おいしいラーメン」を食べたとき
あの頃ラーメン1杯完食できない程 小食だったわたしが
1滴残らずスープまで飲み干したんだ
自分でもびっくりした。ああわたし、食べれるやん?って
わたしは 食事をするとき、よく喋る。
小さい頃から食事はいつも家族全員揃ってから
団らん、というか 雑談、というか 何気ない会話が常に交されていた。
冗談を言ってみたり、ともだちやがっこうの話をしたり
祖父祖母父母は地域のことやら農業のこと
トマトの接ぎ木はいつするか?何時にどれだけ水をやる?
明日は夕方から雨だから 早目にハウスを閉めなければ
日曜はみんな一緒に茶摘みにゆこう
そんな食卓が 笑顔と会話の絶えない台所がだいすきだった。
食事=はなしをする時間
わたしにとってはそれがイコールで繋がれていて
行儀が悪いと言えばそうなんだけど、会話があったからこそマナー的な
たとえば箸使いなんかはきちんと躾られたし、
実家が農家だったから食物に対する有難みや旬を学べた。
おかげで社会人になった今 嫌な思いはしなくて済んでいる、と思う。
だからここは 敢えてこう言いたい
あれは「食育」だったんだ、と。
今もわたしは痩せっぽっちで食も細いほうだけども、
みんなで囲む食卓が あの時間が大好きだ。
おいしい、たのしい、うれしい。それでいいじゃないか?
実は、わたしは大阪に越してきて初めてカウンター越しにラーメンを食べた。
それがこの神座で ひとことも喋らず食べた。そして、完食した。
つまり、わたしは喋らなければ食べれるのだ。
いつも喋りすぎて箸が止まり すぐにおなかいっぱいになってしまう
そういうことだったのかも知れない。
ま、それだけが理由じゃないんだろうけども。
だからいつも、わたしはラーメンを食べる時 口を開かない。
なのに昨日のラーメン、1/3くらい食べられなかったよ
でもおいしかった。たのしかった。うれしかった。おなか以上に胸いっぱいだった。
最近仕事で「慣れ」が出てきたのか?
良くない意味で、緩んできている気がする。
だから失敗する。簡単なことに気づかない。空気読めない、最悪。
5つも年下の女の子に救われたよ
何気ない言葉が嬉しかったよ
その素直でひたむきなところが羨ましいよ。
「しっかりしている」は 雑念だらけのわたしなんかじゃなく
心配りのできるあなたに贈りたいことばです、
ありがとう。
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